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9月 13, 2017の投稿を表示しています

アンサンブルと縫い物

なんだか変なタイトルですが…。このブログに法隆寺の部材と音楽について書きましたが、縫い物 生地を縫い合わせて作る洋裁とアンサンブルが非常に似ているのでご紹介したいと思います。 洋裁は型紙に合わせて布を裁ちます。この裁ったパーツだけを見るとハギレと変わりません…。気を付けないとゴミと間違えて捨ててしまいそうです…。 こんなハギレのようなパーツを縫いわせると、本当に不思議な事に洋服に変身するのです。縫い合わせる前のパーツはみんな平面ですが、無理矢理と思うほどマチ針を指し、縦横を合わせて縫い上げると立体的な洋服に出来上がります。 初めて洋服を縫った時は当たり前なのに本当に感動しました。 この作業をしているときにふと閃いたのが、これはアンサンブルと同じではないか!ということです。アンサンブルはパート譜だけ見るとなんだかよく分かりません。音と音を繋ぎ合わせ合奏をすると急に音楽が立体的に浮き上がるのです。 しかも、一人一人が違う癖やイントネーションを持っていても、お互いに引っ張り合い重ねていくと自然にバランスがとれ音楽になるのです。 そうして作り上げた音楽は立体的にまるで質量があるかの様に宙を舞うのです。 こうしてみると音楽は本当に色々な事に繋がっていますね。

カラオケは楽しくてクラシックは退屈と感じるわけ

学校で習う音楽は嫌いだけどカラオケは好き、と言う学生はけっこう多いのではないでしょうか? また、かつてピアノを習っていたが今は全く弾かない、という人も多いように感じます。 この理由は実は同じところにあります。音楽は本来 心の奥から出てくる物で、「心の言葉」と言って良いでしょう? しかし、音楽教育として音楽を習うと「心の言葉」と言う何だかよく分からない部分を省いて、音を鳴らす事を教えられてしまうのです。心が無く外側の見える部分だけになってしまうのです。星の王子さまの「本当に大切なものは目に見えない」と言う言葉通り、本当に大切な部分は音ではなく心。その部分が無く、目に見える部分(音は目に見えませんから、この場合物理的な現象としての音)だけになってしまうのです。 結局、習った物は音楽では無く、抜け殻のただの音になるってしまうことがあるのです。それに比べ、カラオケは楽しむことがまず重視されます。つまり心を表に出し、発散することが出来るのです。 ではクラシックも楽しければ何でも良いのか…とは思いません。一つ一つの基礎的な練習がもちろん大切です。ただ、その一見無味乾燥と思われるような練習にも、心を通わせ生きた音楽にする事に細心の注意を払うことが重要なのです。 それは茶番めいた感想を言ったり、心にもない大げさな表現を求めたりする事ではなく、ただただ心の言葉が音に込められているかを聴き分けることです。どんな練習にも心を通わせる事で生きた音楽になるのです。