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個性を育てるとは

よく日本人の演奏は上手いが個性がないということを聞きますが、これはどういう事でしょうか。日本人は他の人と同じ様ににしていると安心するという気質から、皆んな同じ演奏になるのでしょうか。 しかし同類が集まると安心するという一つの個性を持っているのですから、これは違います。 実は音楽の勉強の仕方が個性を無くさせているのです。 ある子供の音楽団体の練習を見学をしました。事細かく音程、音の立ち上がり、伸ばし方、切り方など、指導がありました。2時間ほどすると見違えるほど良く音が鳴るようになりました。 指導者も子供達も満足気ではありましたが、私は何か胸の辺りにモヤモヤするものを感じていました。 ここで感じたのは、この楽団らしさはどこへ行ったのか?どこにでもありそうなこのステレオタイプ的な響きは何なのか?ということでした。 そのとき、 はっ と気付きました。物理的な音、技術的な楽器の操作など、一見扱いやすい事柄で指導したり、練習をしたりすると、心の奥深くに音が届かず、その人らしさ(その楽団らしさ)が消えてしまうのです。 良い演奏とはもちろん作曲家の意図した事柄をを十分伝えていることはもちろんですが、演奏者の人間性も同時に伝わって来るものです。どんな人間であれ、その人らしさが伝わる演奏が個性的な演奏なのです。何か他の演奏とは差をつけるために奇をてらう必要は無いのです。 心の奥深くから紡ぎ出された音楽はそれだけで、説得力を持っているものです。 楽器を始めて持ったばかりの初心者であっても、単なる技術的な練習であっても、常に音から何を感じているのかに注意を向け、自分の心の奥深くから音を響かせねばなりません。 私たちは心を持っている以上音楽の才能は十分持っています。それを余すところなく音に映し出して行くことを大切にしなくてはなりません。

個性を伸ばす

個性を伸ばすという言葉は使い古されたように良く使われますが、いったいどう言う事なのでしょうか。 個性とは一人一人の心が自由で満たされ安心した状態で伸びて行くものではないでしょうか。 子供だけでなく大人も同じ、相手の心の動きを大切にし常に相手が心地よく自由で安心していられるように接することが相手の個性を伸ばすことにつながります。 これは上司でも部下でも友達でも家族でも、誰でも同じです。 問題行動を抑圧して抑えることは更なるストレスを生み、結局別の場所でまた問題が生じます。自由で満たされた環境では自分を伸ばす欲求が湧いてくるのです。

耳の訓練と心

人間の耳は雑踏の中でも特定の人の話が聞こえる優れたものであるが、演奏するときは特定の音を聞くよりも、全ての音を同時に聞くことが大切。右脳が活性化されリラックスした状態になり、イマジネーションが働きやすくなる。音楽の持つ色や動きが景色が広がるように見えてくる。 しかし、以外に訓練しないと同時に音を聞くことは難しいようだ! 先日フルートの先生がレッスンを見学され、「大切なことを忘れていた!どう吹くかに囚われて、感じることを忘れていた!」と言われていた。目の前のあれこれに気を取られて、大切なことを見失うのは生に似ている 。

ヴァイオリン運弓時の脱力法

ヴァイオリンを弾かれる方で上半身に力が入ってしまう方、弓の動きに体が引きずられてしまう方がいらっしゃると思います。 先生には「力を抜きなさい」と言われていても、どう力を抜いたらいいのかよく分からない、知らないうちに力が入ってしまうなんてことはよくあります。 ちょっとしたエクササイズで体幹を鍛え、美しい奏法を身につけましょう。 まず真っ直ぐ立ちましょう。両足は肩幅に開き、骨盤を上に向けます。(でっちり…出尻?の逆向きです。) 下腹を引き締め背筋を上の方に引っ張り上げます。肩に力が入らないように肩を落とすようにしましょう。 そしてここからが大切。骨盤から背中の方に引っ張り上げたラインをみぞおちの辺りの体の中心に引き寄せます。引き寄せるとは上半身全体を引き上げていた力を体の中心の一本の線に細くする事です。引き上げるラインを細く線状にする事で、肩や胸の力が抜けます。そのまま胸から上を左右に回すように何回か動かします。中心のラインがよりはっきり意識出来るようになります。肩胸腕は引き寄せた中心線の回転につられて動くことを意識しましょう。 ヴァイオリンを持たない状態でこの感覚を掴み、その後ヴァイオリンを持って、同じ感覚で弾いてみて下さい。脱力出来ている感覚があればその感覚をよく味わうようにします。 初めは筋肉や神経の感覚が曖昧かも知れませんが、練習の初めや合間で何回も行って下さい。筋肉や神経が鍛えられれば脱力の感覚が分かるようになり、美しい奏法が身についてくるでしょう。 是非頑張りましょう!

自然なビブラート

ビブラートには指・手首・腕の3種類を曲想に応じて、あるいは自分の身体に応じてミックスしてかけます。また、美しビブラートに手の脱力はとても大切です。 人それぞれ個性があらわれるビブラートですが、一つのイメージを掴むと自分に合った、しかも自然なビブラートがかけられるようになります。 それは、はためくこと。旗が風になびくようにビブラートをかけてみましょう。(風になびく旗は柔らかいので、イメージすると手の力も抜けやすくなります。) 強風の時は細かく強く、そよ風の時は柔らかくゆっくりはためきます。歌の流れが風です。強い曲想では強風にはためくように、柔らかい曲想ではそよ風にはためくようにビブラートをかけてみましょう。 手の大きさや柔らかさは人それぞれです。旗の素材の柔らかさ重さ厚さによってはためき方が変わるように、それぞれの奏者の手や体に応じたビブラートが生まれます。これが音の個性にもつながります。 ビブラートは音楽の流れを表現しています。音符にすると音の長さが示されているだけですが、その中には様々な流れがあるのです。 歌をイメージして下さい。一つのフレーズの中でも様々な息使いで表現されます。その息使いをビブラートで表現しているのです。 感じている音楽と身体のバランスで自分の音楽が生まれて来ます。是非自然に生まれる自分の音楽を大切にして下さい!

学校の勉強にヤル気を出すには!

音楽と関係ないのですが、先日中学生の生徒と話していて、ふと音楽と同じだ!と感じたので、記事にしてみました。 その生徒はなんでも学校の勉強にヤル気が出ず、成績も伸び悩んでいるそうで、学校の勉強がめんどくさくなったり、どうしてもやる気が出ないそうです。 しばらくあれこれと話していて、ふと気付きました。その生徒は今はヴァイオリンを好きで通って来てくれているのですが、以前は本当に嫌々弾いているのが手に取るように分かる子でした。レッスンのとき良く「指だけ置いて音程が合うと思っているのか!」とか、「腕だけ動かして音楽になるのか!それはただの騒音だ」などと良く怒られていた話しを懐かしく出来るまで成長してくれたことは、本当に嬉しいことです。 つまり、その生徒はこの時点ではまだ音楽を一面的にしか捉えていなかったのでしょう。音楽は空間に現実とは違う世界を繰り広げるもの、つまり「目で見るような」「肌で感じるような」「匂いがするような」物とは理解していなかったのでしょう。 学校の勉強も同じです。例えば数学でいえば、ノートに書いた、ただの数字が、それを超えて空間に広がるように感じ取られたり、平面的なグラフや図形が手で触れられ感触が感じられるような、或いは図形の世界を探検するような感性があれば、もっと数学が楽しくなるでしょう。 国語でも題材の小説に出てくる登場人物の顔が目に浮かぶほど、或いはその人物があたがも知人であるかのように感じられたり。理科の星の動きで言うなら、地球や月・太陽の動く音が聞こえるように感じられたり、手を伸ばせば星を触る事が出来るように感じたり、という事です。 このように、正解、不正解のレベルで考えるのではなく、多次元的に捉える事が出来ればもっと興味が湧くはずです。 その分野の専門家となるような人はきっと、そのような多次元的な感じ方を無意識に身につけ、この上ない喜びを感じながら勉強する事が出来たのではないでしょうか。 現在の学校教育は常に評価をする事が求められます。しかしこの評価は客観的な形を求められるため、多次元的な捉え方を蔑ろにすることに繋がっているように思います。 将来を担う子供たちがイマジネーション豊かで、潜在的な能力をフルに発揮して成長出来ることを期待しています。

あなたの演奏は幸せにあふれていますか?

音楽の本来の目的は、潜在意識を解放し心の風通しを良くするもの。それは心が解放されていく豊かさを感じ、幸せになること。 一つの成長段階として高度な演奏技術を身につける事は大切なことです。しかし、もっと大切な事はその段階をさらに超え、心を解放する豊かさを得る事。それは聴いている人も豊かな気持ちにさせ、生きるエネルギーを湧き立たせます。 私たちは目に見えるもの客観的な物で評価をしがちです。 クラシックの演奏に於いてそれは演奏技術でなされる事が多くあります。演奏技術と言っても音の正確さ大きさ強弱の幅音色やビブラートのコントロールなど多岐に渡り、それらの巧みさを音楽性と勘違いする事があります。しかし、それらは言ってみれば物理的なものに過ぎません。 実はもっと大切なものは演奏者から発せられる「気」と言いましょうか、目に見えない耳で聴こえない何かなのです。音楽とはそんな心が映し出された音、そして音を通して演奏する人聴く人それぞれが心を通わすことができるものなのです。